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天才は、自分の才能に気づく中で生まれ、秀才は、苦しい努力の中で育まれる。

天才は、自分の才能に気づく中で生まれ、秀才は、苦しい努力の中で育まれる。
仕事でお世話になっている方からお誘いを受けて、教育の未来について考えるカンファレンスに行ってきました。このブログでは、そのカンファレンスで観た「人工知能やロボットが浸透していく世の中において、21世紀の教育の在り方とは何か」をテーマに制作されたアメリカのドキュメンタリーフィルム「Most Likely To Succeed」について書こうと思います。

従来の教育スタイルに強烈な問いを投げかける映画 『Most Likely To Succeed』

「Most Likely To Succeed」は、アメリカ・カリフォルニア州にある High Tech High という学校に通う高校生の成長を追いかける過程で、定期テストや受験勉強のためにする教育とこれからの人生をゆたかに生きるための教育とのバランスを、どのようにとっていけばよいかを考えさせられる作品です。2015年の公開以来、5000回以上の上映会が行われ、最近では字幕の追加が行われたことによって国内でも多く上映会が行われています。 Web上にこの映画のあらすじがまとまっていたのでご紹介します。

米国の教育カリキュラムは、戦争でロシアに負けたドイツが強い軍隊を組織するために全ての少年に始めた年齢別、科目別の教育を参考に1892年に制定された。当時米国は工業化を目指して、農民を均一した労働者に教育する必要があったのだ。教育システムの変更はそれ以来されていない。20世紀を通じてGDPが伸びれば、国民所得も伸びる時代が続き、読み書き計算が出来れば平均的な暮らしが出来た。しかし、1990年代後半からの急速な技術の進歩により中産階級に富をもたらした多くの仕事が奪われている。大学を卒業したら安定した職に就けるという時代は終わった。 かつて教育は賢人たちが議論を交わすものだったが、軍や工場のためにすべての子供たちに教育を施すようになると沢山の知識を持っていることが良しとされた。試験至上主義の中、子供たちは過度の時間を事実の記憶に費やし、貪欲に学ぶことへの意欲が失われていった。また、試験のためだけに記憶されその後使われることがない知識の9割は数か月で記憶から消えてしまうという実験結果も出ている。 情報化社会では国家や企業は知識を沢山持っている人ではなく、論理的思考力やコミュニケーション能力といったソフトスキルを持っている人材を求めている。それらの能力をどうやって身につけさせ評価したらよいのだろうか。 2000年にカリフォルニア州サンディエゴに開校したHigh Tech Highでは何をどれぐらいどう教えるかは教師の裁量に任されている。1年契約であるにも関わらず知的自由を求めて熱意ある教師が応募してくる。HTHでは教科書や試験、成績表がない。生徒たちはクラス単位でプロジェクト学習に取り組み、学期末に一般公開される展示会のための作品制作での失敗や成功を通じて人間的にも成長をしていく。 全米各地で古い教育制度から離れた大胆な試みが行われ始めているが、こうした新しい教育に関する長期的な研究結果はまだ出ていない。既存の教育制度を続けるも、新しい教育を選ぶのも賭けではあるが、我々は21世紀に相応しい新しい教育を検討すべき時期に差し掛かっているのではないだろうか。 by Marie Yoshikawa 引用元:Future Edu Tokyo『Most Likely To Succeed Synopsis (In Japanese) あらすじ』 URL:http://www.futureedu.tokyo/education-news-blog/2016/6/8/most-likely-to-succeed-

下敷きとなった軍隊の在り方は変わったにもかかわらず 教育は基本的に100年以上前のスタイルを踏襲している

映画を観て驚いたのは、我々が当たり前だと思っている教育の基本スタイルは、1892年に確立されて以来、ほとんど手つかずのままだということです。そして、その教育スタイルの下には「強い軍隊を組織するため」という思想が敷かれているということでした。たしかに工業が発展する時代においては、かつての軍隊のように命令に従って多くの人間が同じような動き(=非創造的な動き)ができることがよしとされていましたが、人工知能やロボットが活躍するこれからの社会では、人間にしかできない創造的な働きが求められるようになります。定期テストの点数や受験勉強によって手に入れる学歴がまだまだ重視されているのにも関わらず、人生を生き抜くための必要スキルはそれとは裏腹にどんどん変化している…「Most Likely To Succeed」は、ここに存在するギャップに警報を鳴らしているのです。

強い軍隊を組織するために、命令に従って忠実に動く人材を育てることが現在の教育の下敷きになっていることは上の方で述べましたが、実は軍隊も「昔のまま」というわけではありません。米軍では、ゲリラやテロリストへの突発的な対応に備えてOODAという機動性に優れた意思決定法が採用されていますし、近年ではさらにNCW(ネットワーク中心の戦い)という情報化時代に最適化された考え方が取り入れられてきています。別にこれは話を軍事にそらしたいわけではなく、「軍事には時代性が取り入れられているにも関わらず、教育には100年以上も前のメソッドが取り入れられたままになっている」ということに気が付いてほしいのです。

学校教育の関係者でなくとも、社員教育や家庭教育など、ほとんどの人が多かれ少なかれ教育には携わっていると思います。僕も教師ではありませんが、この映画の主張には大きな影響を受けました。

創造的な能力を身に付けるために、身に付けてもらうために私たちは教育とどのように向き合っていくべきか

私たちがふだん「創造的」という言葉を使うときに、真っ先に思い浮かべるのはクリエイターやアーティストです。デザインをする人、イラストを描く人、映像をつくる人…とにかく何かをつくる人という印象がありますよね。しかし、ここでいう「創造的な能力」の持ち主に対する私の見解は違っていて、創造的な能力があるということは、センスがある人のことをいうのではないかと思っています。

これからの教育を考える上でポイントとなっている「人工知能の発達」を見てみると、すでに人工知能を使ったものづくりはかなりのレベルにまで達しています。人工知能のアルゴリズムの一種・GAN(敵対的生成ネットワーク)を応用すると、現実にはない写真、イラストを創り出すことはもうすでに可能になっています。本稿の主旨が「人工知能やロボットが発達した社会で人間に求められる教育とは何か」とすれば、我々が考えなければならない創造的な能力(=センス)とは、ただつくることではなく、つくった・つくられたものの中から、よいものを選んでいける能力を育むということなのではないでしょうか。

誤解が生じるといけないのできちんと記載しておきますが、つくることがすべて、いますぐに人工知能に取って代わられるということではありませんし、人間がつくることに価値がないといっているわけでもありません。人工知能がつくるものに、とてつもなくすばらしいものができている例にはまだ出会ったことがありませんし、まだそういったものが生み出されるには時間がかかると思ってます。しかしながら近い将来、人工知能が人間を超える精度でものづくりができるようになったとしたらどうでしょう。そうなったとしたら、つくること自体ではなく、よりよいアイデアを考えることやいいものを選択することに、僕らの存在価値が出てくるような気がします。

与えられたものを覚えることではなく、気づきにこそ価値がある。創造的な能力を身に付けるために必要なこと

では、センスはどのように身に付けていけばよいのでしょう。映画「Most Likely To Succeed」の中で、「High Tech High」の生徒たちのひとりが、取り組んでいるプロジェクトの中で失敗し、気づきを得るシーンがあります。先生はそこでこんなことを言います。「よく気づいたな、…ということは、君には〇〇の才能があるということだ」-と。天才とは、自分が得意なことと努力の方向性が同じ人のことをいうと聞いたことがあります。

きっと、大人になる前に自分の得意なことに気が付くことができれば、努力は努力ではなくなり、天才がたくさん生まれるようになるでしょう。映画の中では、こういった教育が正解かどうかはわからないと述べられていました。結果が出るのは数十年先のことだ、と。しかし、時代は現代教育の基礎が出来上がったころとはずいぶん変わっています。有効な教育も変わっているはずです。子どもたちのためにも、未来を担う若者たちのためにも、何かに挑戦しないわけにはいきませんよね。

最後に私がこのブログを書くエネルギーをもらった「Most Likely To Succeed」の予告編をご紹介して終わりたいと思います。

 

山田 裕一
この記事を書いた人 山田 裕一 CEO / BRANDING PLANNER
新しさの確立と記憶への浸透をテーマにブランディングの会社を経営しています。出身は東洋のハリウッドとうたわれた映画のまち・調布市。今は縁もゆかりもないですが、歴史と未来が交錯するまち・江東区に住んでいます。髪質はかなりキツめの天然パーマ。好きな飲み物...
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